EPISODE 04 in 1960年頃

子どもたちの笑顔を、再び。
幼稚園跡地が生まれ変わるまでの物語。

親子2世代で半世紀以上に渡り、地元・三ツ境で、不動産業を営んできた株式会社丸三。
しかし不思議なご縁は、さらに過去から紡がれていることもあるのです。

2016年のある日のこと。
丸三とは、それまでも、そして、その後もビジネスパートナーとして協働する、ひとりの男性が訪れます。
その日の内容は、とある土地の売買に関するものでした。

「丸三さん、この土地の取引に参加してくださいませんか?」

それは、丸三において日々行われる、土地の売買の相談と変わらない、何気ない話のはじまりでした。
しかし、この土地だけは、人生をかけてでも、丸三が手に入れたい理由があったのです。
話は1960年代までさかのぼります。

「三ツ境で幼稚園を開きたいと思っているんです」

その相談を受けたのは、現社長・和田の祖父。
彼は、きっぷの良い人柄で知られ、地域の方たちのために先頭に立って、水道やガス工事のインフラ整備に尽力していました。この話を聞き、自身が所有する土地に木造の園舎を建て、貸し出すことにしたのです。

それから約10年後、手狭になった園舎の建て替えを機に、その土地も幼稚園に売却。
新しくなった園舎には、子どもたちの笑い声が絶えず、地元・三ツ境でも有名な大きな園として知られるようになっていきます。
そして和田自身も、その園で幼少期を過ごしていたのです。

「こんなめぐり合わせがあるんですね……。実はこの土地は、私の祖父が所有していた場所。その園には、私や姉、親戚がみんな通っていたんです。なつかしいですね……」

土地の状況を調べるために、久しぶりに訪れた園舎。
子どもたちの姿がないその場所は、なんとも寂しいものでした。
転んで怪我をした園庭や、好んで遊んでいた磁石のおもちゃ、みんながもらった記念品のカップ……。
園内を歩くたび、当時の出来事が思い出されます。

最後に入った部屋は、ここに通っていた頃には入ることのなかった物置。
物が溢れる中、目にとまるように残されていたのは、園児が道具箱として使っていた、緑色の箱でした。
まるで見つけてもらうのを長年、この部屋で持っていたかのようなその箱には、「わだ」の文字が。それはまさに、和田自身が当時使っていた道具箱そのものだったのです。

取引に参加するための書類の提出日。
直前に訪れたのは、このご縁の出発点となった祖父母のお墓でした。

「おじいちゃん、この不思議な縁を、また僕たちの手で繋いでいけるように頑張ってくるよ。ありがとう」

その日から数ヶ月後、幼稚園跡地は丸三が購入することができたのです。
約半世紀の時を超えて、祖父が手放した土地が、孫の手によって再び戻ってきた瞬間でした。

さらに月日が流れて現在。 閉園したはずの幼稚園跡地には、今でも園児たちの元気な声が響いています。
実は土地の購入と時を同じくして「保育園を建てられる土地を探している」という相談があったのです。
真っ先に頭に浮かんだのが、あの幼稚園があった土地。
しかし、近隣には住宅も増え、今後も分譲地となる中に保育園を誘致するということは、不動産会社として慎重な判断が求められます。

その常識を覆してくれたのが、町内会の方々でした。

「私たちも、幼稚園が閉園してから、なんだか寂しくてね。だから、どうすれば誘致ができるか、一緒に考えていきましょう」

予想していなかった反応に驚きつつも、その日をきっかけに、住まいと保育園が調和した分譲地の計画は加速していきました。

「未来の子どもたちのために」と土地を渡した祖父。
その思いを受け継ぎ、多くの卒園児を輩出した幼稚園。
子どもたちの活発な姿を眺めるのが日常となっていた近隣の方々。
世代を超えて、再びこの土地と出会った丸三。

多くの人に愛されつづけた幼稚園だったからこそ、またこの地に笑顔がもどったのです。
そして将来的に、保育園が生まれ変わる日が来たとしても、きっと私たちの子どもや孫が、また新たな物語をつないでくれることでしょう。